人間関係の喜び

幸せの基盤は喜ばしい人間関係にあることを

凶悪な人間の問題

f:id:jky:20200324185204j:plain

相手が「喜べるように」
「私が」行動するってことは、
すごく「相手のことを思う」ことであって、
自分が相手に無償奉仕することでもありますから、
そんなふうにできるためには、私が、
「相手を信頼できる」って気持がなければ、
できないと思うわけでして、ですから、
相手が私から「奪おう」とする人間だとか、
私を「攻撃する」ような凶悪な人物だったら、
相手に喜んでもらおうなんて気持ちには
なれませんよね、初めっから。
 
まあ、でも、例外もありまして、
私の体験ですけど、とっても大好きな人がいて、
私はその人のためなら、
いっしょうけんめい尽くそうと思ったことがあり、
たとえ、その人が私にひどいことをしようと、
そんなこととは全く無関係に、
「たとえ自分がひどくされても」
その人に至誠を尽くそうと思ったこと、
ありましたね。

・ ・ ・ あの、それ、すごく良い思い出だし、
そういう気持ちになれたの、今でも、
良かったなあと思っています。
 
ああ、でも、今日書きたいのは、
「ひどい相手」や「凶悪な相手」だったら、
その人といっしょに楽しく過ごそう
・ ・ ・ なんていう気持ちには、
なれませんよねっていうことなんです。
 
人は、他の人といっしょに
喜ばしく生きたいし、そのためには、
相手に対して「自分自身を開く」ってことが
必要だと思います。
 
そして、自分自身を他の人の前に開放し、
いっしょに楽しく過ごしましょうって、
そういう態度で自分自身を発揮するためには、
自分のそういう気持ちを
相手に「受け取って」もらえるし、
同調してもらえるってことが必要だと思います。
 
それで・・・ですね、心が優しく、
温かい心情の人っていうのは、
凶悪な人間にとっては
「攻撃しやすい人」であり、
その人から奪うことができる「カモ」というか、
おだやかな人は犠牲者になりやすいんですよね。
 
ですから、心優しく、温かく、
おだやかな人が、その人の本性を発揮し、
まさに、その人自身を発揮して生きるためには、
周囲の人が凶悪人間ではないという条件が
必須だと思う私です。