人間関係の喜び

幸せの基盤は喜ばしい人間関係にあることを

今日は残酷な話で

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前回の続きを書きます。
その人、1月末の出産だったそうですが、
初めての子が生まれる前、ある吹雪の夜、
吹きっさらしの戸外の井戸で、
鍋底を磨いてこいと命じられたのでした。
 
作業に使うのは、
湯とタワシでは「ありません」、
湯は「あっても」使わせてもらえず、
屋内でもできる作業なのに、
わざわざ「吹雪の戸外」でさせられるのです。

しかも、「夜」なので、
井戸を照らす裸電球の光一つで、
鍋を洗うのです。

もっと言えば、その時点で、
鍋底をピカピカに磨かなければならない
緊急性とか必要性なんて、皆無なのです。
 
その人、収穫した米の稲藁を使い、井戸水で、
鉄鍋をピカピカに磨けと命じられて、
そう命じるだけでも「残虐行為」なんですけど、
さらに、ひどい仕打ちを受けるんですね。
 
その人、やっとのことで鍋底を磨き終えて、
母屋の戸を開けて入ろうとしたんですけど、
何と! 何と!
戸は家の内側から施錠されていて、
「家に入ることができません」 ・ ・ ・
 
ああ、もう、私、その話、
続けて聞きたくはなかったんですけどね、
ましてや、その話をここに書くのは、
心理的にたいへんなものですから、
この続きは明日以降にします。
 
そして、まず思うのは、
その人の
「その時の気持ち」 ・ ・ ・ ですね。
 
そして、次に思うことは、
そういう残酷な攻撃を、
まもなく赤ちゃんを産もうとする人に
「しかける」人間の気持ちですね。
 
私はもう、これ以上、
何も言いたくないし、書きたくないので、
気持ちが落ち着いたら、また次回に。