人間関係の喜び

幸せの基盤は喜ばしい人間関係にあることを

卑小だという誤認識

他の人と融和し、できるだけ、
親密な関係をつくって、お互いに、
楽しく日々を過ごしましょう
 ・ ・ ・ っていうようなことが、
すばらしくいいことだと、
私は思います。

だから「コミュニケーション」って、
お互いの気持ちを表現しあうことが、
とっても大切だと思うんですね。

ところが、世の中には、
昨日書きましたように、
「他人を支配したい」人がいまして、
そういう人っていうのは、相手が、
「気持ちを表現する」ってことを、
「許せない」人なんだと思います。
なぜなら他人を「従わせる」ことが、
その人の目標だからです。

まあねえ、私の考えでは、
「他人を信用できない」からこそ、
支配しなければ「不安でいられない」、
超不幸な人種だと思いますけどね。

それで、相手を支配するためには、
先制攻撃して「相手を打ち砕く」こと、
それは、すごく有効な手段ですね。

ところでまあ、たとえばですけど、
今ニュースになってる東須磨小学校の、
教員による教員への暴行等いじめ事件、
それって、私の勝手な想像では、
相手を奴隷化する手法して、まず、
相手の「自分」を破壊するというか、
「自分はダメ」って感覚を持たせて、
相手の心そのものを打ち砕く作戦を、
巧妙に行ったんだろうと思うんです。
激辛カレーやキムチ鍋原液を食べさせ、
ビール瓶を口に突っこんで飲ませ、
瓶でたたき、プロレス技で首を絞め、
熱湯のやかんを顔につけ、髪や衣服を、
接着剤まみれにするなんてのは、
心を破壊する程度がまだ軽いですけど、
ラインを使って同僚の女性教員に、
わいせつな文言を送るように強要する、
「犬」と呼ぶなんてのは程度が重く、
「ママによしよししてもらえ」は、
完全に馬鹿にして、おちょくって、
相手の心を粉砕する手法ですよね。

けれども、もっとひどいことがあり、
それはまた、次回に書きたいですが、
私の推測では、被害者教員を粉砕し、
世の中に立ち行かない人間にして、
挫折や退職、廃人などに追い込み、
「おもしろがる」ことが、無自覚の、
心の奥底のどす黒い情念なのかなあ?
 ・ ・ ・ なんて想像したことです。
(あくまでも勝手な個人的感想です。)

なにしろ、加害教員の一人は、
激辛カレーを食べさせるなどの行為を、
「おもしろかった」みたいにですね、
児童に言ってたそうなので、正直に、
「いじめがおもしろい」という本心を、
表現していたのではないかと思います。

結局、他人を支配できる偉大な自分
 ・ ・ ・ という虚像を持つためには、
「卑小」な自分という自覚があるので、
「相手をおとしめる」ことによって、
相対的に自分を立派なものに見せかけ、
「自分をごまかすテクニック」が、
必要だったんじゃないかと想像します。

いやあ、今日の話は全部、
根拠の無い身勝手な空想の話で、
確実なことは何一つありませんから、
私のことを怒らないで欲しいです。
そういう感想の人もいるのかと、
寛容な心で読んで下さいますことを。

最後に、今日の標題は、
「卑小だという誤認識」なんですが、
自分が卑小という誤認識を持つから、
「偉大さ」を求めちゃうわけで、
あの、別にねえ、卑小とか偉大とか、
そういうのは世間的「妄想」でして、
実は実は、「どうでもいいこと」で、
そんなことにとらわれる必要は無く、
人は皆、尊いんですから、
そのことを心に刻んで日々を送り、
互いに尊重しあって仲良く過ごす、
そういう生活でこそ、
幸せが実現するんだと思います。