人間関係の喜び

幸せの基盤は喜ばしい人間関係にあることを

人といっしょに楽しめる

f:id:jky:20191226065607j:plain

今、こうして生きていることの喜びを、
他の人といっしょに楽しめるってことは、
ほんとに幸せなことだと思います。

そして、他の人と関わりあう活動の中に、
うれしさを感じることができる日々ならば、
自分の人生が満ち足りて、感謝の気持ちも、
生まれるだろうと思います。

それで思いますのは、自分自身が、
「これで良い」というふうに、
誰からも認めてもらえない情況で、また、
好意を持ってもらえることもなく、
良くしてもらえるようなこともなく、
さらに、
「誰とも心がつながっていない」みたいな、
孤独と言うか、孤立無援の状態にあったら、
そういうの、ものすごく不幸だと思います。

さて、再放送ドラマ「おしん」の、
昨日のドラマ展開なんですけど、
登場人物の「希望」は、おしんの家を出て、
陶芸の先生のところに去ってしまいました。
私はそれ、当然の、
そうすべき選択だったと思います。

一番悪い展開は、希望が、
おしんの意向を重視して自分の思いを殺し、
おしんの家に留まり、希望には向いてない、
「嫌いな」商売を続けることだと思います。

なぜなら、それでは、
経済的には生きていく道が安泰でも、
「心を殺す」ことになり、人生がつまらなく、
喜びも幸せもなくなってしまうからです。

でも、この世の中、自分の思いを犠牲にして、
経済的安定を得るとか、世間体を保つため、
「不快な日々をガマンしてる」人って、
ものすごく多いんじゃないでしょうか。

そして、そういう生き方をしますと、結局、
心に不満がたまる人生になる他はなく、
その不満が、いろんなところに「出てくる」、
そういうことが問題だと思う私です。

ところで、昨日のドラマ展開の最後に、
ナレーションが言ってました。
「が、おしんを裏切ったのは
 希望だけではなかった。
 もう一つの裏切りが、
 おしんを待っていたのである。」

さあ、そのナレーション、
私はびっくりしてしまいました。
希望の行為を「裏切り」と言ってますけど、
それ、とんでもない誤った考え方だし、
それに、「もう一つの裏切り」って、
何でしょうか?

まあ、放送はこれからですけど、
今日の放送を見た感想は、また明日、
書ければと思います。