人間関係の喜び

幸せの基盤は喜ばしい人間関係にあることを

都合の良い人間

「自分の都合が良いように」
他の人が動いてくれたら、
とてもうれしいって感覚は、
他人を奴隷にしたい心情と共に、
悪魔的なものを含む場合も、
あったりすると思う私です。

まあ、片思いの相手がですね、
自分のことを好いて欲しいというのは、
別に、悪魔的でもなんでもなくって、
あたりまえの心情ですけどね、でも、
だからといって、相手の気持ちが、
「自分に向くように工作する」のは、
ちょっといきすぎだと思う私です。

私の場合でしたら、
私を好いてくれるかどうかは、
「相手の気持ちしだい」ですからね、
それはどうしようもないことで、
もちろん、私を好いてくれるなら、
これ以上うれしく、
幸福なことはないんですけど、しかし、
私が相手の気持ちを左右することは、
「できない」し、さらに、
「してはいけない」と思いますし、もし、
相手の好意が得られなかったとしても、
その人を「好きになれた」ことの喜びを、
楽しみたい私ですが、
今日書きたいことは恋心のことではなく、
相手が、
「自分の思うように」動くことを求める、
そういう気持ちっていうのは、
悪魔的な面があるということなんです。

あの、幸福に暮らしていて、
心が健全な人っていうのは、他の人が、
「自分の思いどおりに動くこと」など、
「求めない」んですよね。

そのことを反対の面から言えば、相手が、
「自分の思いどおりになる」ことを、
欲求してしまうという気持ちは、
健全な心ではないってことでして、また、
その人に不幸な面があるからこそ、
そうした気持ちが起こってくるだろうと、
私は思うんです。

そして、自分にとって、相手が、
「都合の良い人間」であること求める、
その悪魔性については、
そのうち書きたいと思いますが、次回は、
「心が健全で幸福な人」は、なぜ、
相手が自分にとって、

「都合の良い存在」であることを、
求めないのかと言った点について、
私の考えを書いてみたいと思います。