子をロボット化する親
テレビ番組の予告編ですが、
父親が子どもといっしょに風呂に入り、
故意に、子どもを湯に沈めたというの、
見ました。
あの、テレビの時代劇とかその他で、
顔を水中に漬けるっていう拷問は、
時々見ますけどね、そうする理由は、
捕縛者に「言わせたい」ことがあって、
無理にでも「言わせる」手段として、
「痛めつける」手法を取るんですよね。
ところが、テレビに出た父親ってのは、
子どもを拷問してるわけじゃはなくて、
拷問よりもっとひどいことですが、
「別の目的で」折檻してると、
私は思いました。
なぜなら、その父親は、我が子に、
風呂以外でも暴行を加えてるんですが、
司会者の質問に対して、
次のように答えてるからなんです。
司会者:「蹴ったり
殴ったりっていうのをされた後の
子どもっていうのは、
どういうふうな状態に
なってるんですか?
父親:「まあ、子どもはほんとに、
ロポットみたいな感じで、
俺の言いなり。」
その言葉で、私は思いましたね、
その父親が子どもを折檻するのは、
自分の子どもを、
「ロボット化」するためだったと。
・ ・ ・ つまり、
自分の「言いなりになる人間」を、
製造したかったんだと。
さて、このブログのテーマは、
「人間関係の喜び」です。
そして、人間関係が、
喜ばしいものになるために、
絶対に欠かせない必須の条件、
それは、「相手を尊重する」という、
まさに、そのことなんですよね。
さらに、人が幸福でいるために、
絶対に欠かせない必須の条件、
それもまた、「自分を大切にする」
ということでありまして、
あの、実は、
「自分を大切にする」ということと、
「他人を大切にする」ということは、
「同じこと」なんでありまして、
要するに「自分も他人も大切にする」、
それこそが、幸福に生きるために、
必須なことなんですよね。
さてこの続きは、
また次回ということに致します。