人間関係の喜び

幸せの基盤は喜ばしい人間関係にあることを

自分の気持ちを錯覚する

前回書いたトップヲタで、29歳の人、
彼のことで、その続きなんですけど、
ガチ恋だった彼女のグループは、
解散しちゃったんですって。

それで、彼女、ライブはできないけど、
ソロ活動は続けてるそうで、どうやら、
写真撮影(撮られる)のようですけど、
彼は「禁断のこと」をしちゃうんです。

それは、彼女の電話番号を聞くことで、
つまり、アイドルヲタクでは不満なので、
個人的に付き合って欲しいって気持ちを、
彼女に伝えたっていうことでしょう。

そしたら彼女の返事ですけど、
「アイドルを続けたいから
 (電話番号を教えるのは)待ってて」
 ・ ・ ・ と言われたそうです。

さあ、重大なのは、そう言われた時の、
彼の気持ちなんですけど、彼、
「その時の自分の気持ち」に対して、
すごくショックを受けたそうです。

では、どんなショックを受けたか、
次回に書きたいと思いますけど、
人って、「自分の気持ち」が
「わかってない」とか、
「錯覚してる」ってこと、それは、
おおいに「あること」なんですよね。

特に多いと思うのが・・・ですね、
親が、自分の子を「愛してる」と、
錯覚してる事例でして、このブログは、
人間関係をテーマにしてますけど、
幸せな人間関係のほかに、
どうしようもなく不幸な人間関係も、
平行して考えていく姿勢です。

ガチ恋という錯覚

アイドルの世界を知らない私で、
知ってるのは、以前のテレビアニメ
アイカツ」程度なんですけど、
テレビ番組で、アイドルファンには、
「トップヲタ」と言われる男性が、
いるんだってことを知りました。

さて、一人のトップヲタですけど、
番組の最後で言ってたことですが、
そのアイドルに「ガチ恋」してると、
「思ってた」んだそうです、彼は。

29歳の彼は、ヲタク暦9年、
アイドルに使った金額500万円以上、
ライブに行った回数1000回以上、
生きている時間も、稼いだ給料も、
すべて、ガチ恋してる、
「アイドルのため」なんだそうです。

その番組では、ヲタク暦15年という、
別の40代男性の例も紹介されまして、
3000万円以上使ったそうですから、
もう、びっくりの私でした。

ところで、その29歳の男性が、
ガチ恋」だと思っていたのは、
錯覚だったような話を、
番組の最後で言ってまして、
そのことは次回に書きたいんですが、
関連して思うことがあります。

経済的に生活がたいへんなのに、
小学生のうちから子どもたちを、
塾に通わせているママなんですけど、
もちろん、そういう親って、
世間に「数多い」とは思うんですが、
でも、特にそのママに関しては、
「子どもへの愛情」でそうしてるとは、
私としては、思えないフシがあります。

それは、「子どもへの愛情」じゃなく、
そのママ自身が、ママ友などから、
「すばらしい人」と「見られたくて」、
そのためには、自分の子どもがですね、
「成績優秀でなくちゃいけない」って、
それは、間違いないだろうと、
彼女の態度から、感じることです。

さて、次回ですが、
アイドルにさんざんつぎ込んだけど、
実は「ガチ恋」じゃなかったって話、
今日の続きを書きたいです。

子どもを道具にする親

「子どもがかわいい」って、
幸せな親だと思います。
もちろんそれ、
「親の願いを満たす子」
とかじゃなくって、とにかく、
「自分が授かった子」なら、
生まれた時の「見た目」とか、
まあ、その他いろんなこととは、
全く「関係なく」ですね、
たとえ生まれたばかりでも、
「一個の人格」として、
赤ちゃんを尊重できるようなら、
親として幸せだということが、
「決定」だと思います。

さて、話は変わりますけど、以前、
「モンペ」という言葉を聞いて、
最初、意味がわからなかった私は、
戦時中を舞台にした映画とか、
テレビドラマで女性がはいてるの?
 ・ ・ ・ って勘違いしてましが、
モンスターペアレントのことだと、
今はわかったことでして、
その「モンペ」の話をした人って、
すごい内容を言ってまして、でも、
私が興味を持ったのは、
あるタイプの親がいるってことで、
「自分の子は、すばらしい子」
ということでなければ、
ガマンできないっていう親で、
「自分の子がすばらしい」ことは、
「自分がすばらしい」、つまり、
「親の自分」が立派だってことで、
つまり、「子どものこと」が、
「親のこと」に置き換えられてる
 ・ ・ ・ って親がいるみたいで。

それで、「ああ、そうか」と、
私は思いました。
親自身が、
「自分を立派に見せたい」ために、
自分の子が世間の人から、
立派な子に「見えるように」して、
つまりは、「親の自分が」、
立派な人だと思わせたいんですね、
世の中の人々の目を欺いて・・・

だとすれば、それ、親がですね、
「子どもを利用する」ってことで、
いわば、子どもというのは、
親の虚栄の為に使われる「道具」、
まさに、「人間」ではなく、
「道具」にされてると思いますが、
続きはまた次回以降に。

あ、最後に一言です。
モンペが学校や先生に対して、
いろいろ攻撃し、それがいかにも、
「我が子のため」みたい見えても、
それ、ほんとに、
自分の子のためかな?
って、そういう視点から見るのが、
正確に真実を探ることなのかも。

近い関係だから虐待する?

今日、帰宅してテレビをつけましたら、
目黒の女児虐待死事件に関する番組が、
終わる直前でした。

そして、養女を死なせた養父の言葉、
「私が、親になろうとして、
 ごめんなさい」っていう
ナレーションが流れて、
番組は終わりました。

それで、私は番組を見てないので、
「親になろうとする」ことが、なぜ、
詫びなければならないことだったのか、
理解できませんでした。

でも、この事件とは全く無関係にです、
「親になろうとする」ことが、
罪 ・ ・ ・ というか、
まがまがしいことの原因になることは、
あるのだろうかと、考えてみました。

そしたら、ありますね、あります。
世の中には、
子どもをひどいめにあわす親って、
山のようにたくさんいますけど、
もし ・ ・ ・ ですね、
「自分の子」じゃなかったら、そして、
「赤の他人」としての子どもだったら、
その子をひどいめにあわすなんてこと、
なかっただろうと思うようなことって、
いっぱいあると思いました。

じゃあ、どうして、
「自分の子」だとひどいめにあわすの?
 ・ ・ ・ ってことを、
次回以降に書いてみたいと、今は一応、
思ってはいるんですけどね、でも、
陰惨な話題なので、実際、
書けるのかどうか、わかりません。

自分に鞭打つ不幸

今、ある人が見ているテレビを、
見るともなく横から見ましたら、
ウガンダでの美人の条件は、
「太ってる」ことなんだそうです。
「世界くらべてみたら」という、
番組みたいです。

でも、太ってる女性のほうが、
評価が高い国は他にもいろいろで、
モーリタニアなんかは、
女性の肥満が、
美しさと富の象徴だそうです。

だから、「太るために」、
苦労して努力してる女性も多いとか、
日本なんかは、「やせるために」
苦労して努力する人がいますからね、
それで、私の感覚と感想ですけど、
太っていようが痩せていようが、
それが生まれ持った自分の体型なら、
「それでいい」ってことで、
別に、苦しみ悩むことはないのだと、
それ、ほんとにそう思います。

あの、そのことは、学歴とか肩書き、
社会的地位とか経済力にも言えて、
つまり、自分とか、家族の一員の、
学歴や肩書き、社会的地位、
そして経済状況もですけど、
そんなことを夢中で「気にして」、
苦しみ悩み、さらに不必要な苦闘を、
必死に続けることのむなしさを、
心から思うことです。

どうして、今、
「このようである」自分自身を、
喜び、楽しむことができないの?

反省させることは不能

悪いことをした人に対して、
反省することを求めても、
それは不可能だという人がいます。

そして、私も、
そのとおりだと思います。

だいたい、その行為について、
反省できるような人だったら、
はじめから、悪いことなんか、
するはずないと思います。

それでも、反省を強要されたら、
その人は「本心とは正反対に」、
見かけだけの、つまり、ウソの、
自分を偽った「反省の態度」を、
見せるかもしれませんね。

でも、「自分をごまかす」ウソは、
反省できない自分というものを、
そのまま表明して責められるより、
はるかに害毒が大きいと思います。

必要なことは、
悪いことをするに至った理由を、
自覚することだと、私は考えます。

そして、自分がですね、
悪いことをしないで生きてられて、
人に好意を持つことができ、
人を愛することができるようなら、
そんなふうにできるようになれた、
「恵まれた条件に生きられた自分」
ということに対して、
感謝すべきだと思います。

だから、
人を愛せる自分っていう情況には、
感謝、感謝があるばかりだと、
私は思います。

これで幸せが決定

「私は
 人を好きになることができる」
とか、
「人を愛することができる」
 ・ ・ ・ っていう自覚は、
その人を幸せにすることになると、
私は思います。

そして、人を好きになれること、
人を愛せることは、
とりもなおさず、
「自分自身を好きになれる」
 ・ ・ ・ ってことだし、
また同時に、
「自分自身を愛せる」
 ・ ・ ・ ってことなんですよね。

そのようであれば、もう、
その人が「幸せ」だということが、
決定ですね。