「自分でいられる」幸せ
前回の続きですが、
「昔は縛られていた。
自分の意志が無かった。」
・・・という男性、
私が思いますに、その人は、
「意志が無かった」のではなく、
「自分の意思を表明」すると、
不利益な情況に陥るので、
しかたなく「ガマンして」、
自分を抑えていたのではないかと想像しました。
そして、だからこそ彼は、
「縛られていた」と言ったのかなあ・・・って。
そうですねえ、たとえば会社勤めとかで、
社命や上司の指図に従うことを求められたら、
退職覚悟でなきゃ、
「自分の思いに従って」、
言いつけに逆らうなんてこと、
できないかもね?
ああ、でも、もっと悲惨なのは子どもで、
親が「絶対者」として君臨するような家庭では、
「自分を殺して親に従う」しかできませんよね、
子どもとしては。
だって、大人の労働者だったら、
退職覚悟で自分を貫くこともできますけど、
親が暴君だった場合、子どもは、
「虐待死」させられるのを覚悟するくらいでなくちゃあ、
「イヤだ!」なんて、言えませんものね。
ですから、「イヤなことはイヤ」って、
「自分が主張できる」環境に居られるってことは、
ものすごく幸せなことだと思いました。