人間関係の喜び

幸せの基盤は喜ばしい人間関係にあることを

偉大な自分という妄想

前回、Aさんのことを書きましたが、
私の友人が気の毒ですから、
彼女の夫の父親(Aさん)について、
ちょっと触れてみました。

でも、かわいそうなのは、
彼女の夫も同じみたいで、
彼が父親(Aさん)の前に出ると、
「奴隷同様」、いや、それ以下で、
魂を抜かれた「生ける屍」だって、
彼女は言ってました。

それほどにAさんは全知全能で、
絶対権を持ち、神にも勝る存在で、
彼女の夫は、父親(Aさん)の前で、
「自分自身」を放棄してるそうです。

 ・ ・ ・ と言うより、
夫が父親の前で「意見を言う」こと、
それはつまり、
父親に対する「反逆」だと言うのです。

なぜ反逆かと言えば、
Aさんが「絶対的に正しい」わけで、
Aさんの意思に反することは全部、
「悪いこと」になってるわけですから、
Aさん対して、
息子が「自分の考え」を言うこと自体、
Aさんを否定し、ないがしろにし、
反逆し、謀反を起こすことになるって、
そういう理屈みたいですね。

なにしろ、Aさんは息子に対して、
神にも勝る慈悲と愛情を充分に注ぎ、
何不自由なく、万人の見本となる、
立派な子育てをした偉人そのもので、
ですから、息子(彼女の夫)が、
父親に不満な点などあるはずもなく、
父親を尊敬する気持ちが心の全部で、
感涙にくれて父親を賛美する立場だし、
そういう息子であるべきなのに、
父親に対して「自分の意見を言う」、
 ・ ・ ・ なんて、神を冒涜するより、
はるかに罪なことだって、
まあ、常人の理解を超える世界ですが、
彼女の夫って、
そういう世界を生きてきたみたいです。

「神の前で自分を主張する」って、
私は宗教的な信仰を持つ人でないから、
わかりませんけどね、
神に対する反逆なんですかねえ?

まあ、神様に対するのと同じことで、
Aさんは神様ではないですけど、
自分の息子であれ、世の中の誰であれ、
「自分と意見が同じでない」者は、
Aさんにとっては、自分の敵であり、
また、自分に対する反逆者みたいに、
見えちゃうんでしょうかねえ。

あの、たぶんですけど、Aさんって、
「偉大な自分」という「虚像」に、
しがみついて生きるしかないほど、
妄想を肥大化させちゃったのかなあ?
なんて想像するんですけど。