人間関係の喜び

幸せの基盤は喜ばしい人間関係にあることを

遠藤周作を読んで(第1回)

小説をめったに読まない私が、
遠藤周作を初めて読みました。
遠藤周作の「未発表原稿」が発見されたという
テレビ番組を見たからで、
遠藤周作の父と母とでは、
「どんなふうに生きたいか」ということが、
全く違っていたんだそうですね。
それで、不幸が発生したようですけど、でも、
「自分の性質に従って自分の思いを生きる」ことは、
とても幸福なことだと思うんですね。
それなのに、二人の人間が、二人とも、
自分の性質に従って自分の思いを生きようとすると、
「不幸な関係」に陥って、
家庭内で悲劇が発生るなんてことでしたら、
私としては、気持ちの上でたまりません。

そこで、どんな小説なのか、
読んでみようと思ったんですが、
2020年発行の新潮社の本には、
未発表小説「影に対して」のほかに、
6篇の小説が収められていて、
私はまず、その6篇から読み始めましたが、
読んで全く驚いてしまいました。
私には「思いもよらない」ようなことが、
いっぱい書いてあったからです。

そして、「人の気持」って、
その人の立場に立ってみれば理解できる・・・っていう考えは、
全く誤りだとわかりました。
その例については、次回に書きます。

相手を大切にするのが幸福の出発点

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ナチョ・ドゥアト改訂振付の「ラ・バヤデール」、
NHKで放送されましたから見ました。

第1幕でソロルとニキヤのパ・ド・ドゥが終わった後、
ニキヤを好きになってしまった大僧正は、
ニキヤが自分の求めに応じてくれないので、
悔しい気持ちですね。
その悔しさと怒りを表現する踊りが、
とても面白かったです。

さて、恋してしまった人が自分を好いてくれない場合、
それは心が痛みますけどね、
しかし、「相手の気持ち」を尊重して、
「相手の幸せを願う」ことができるようなら、
それこそ、愛する人に対する態度だと思うんですが、
まあ、でも、
自分の心は激しく傷ついてますからね・・・

それでも、やはり、「愛する人」であれば、
その人の気持ちを大切にするのがいいわけで、
悔しいから「ひどいめにあわせてやろう」っていうのは、
愛する人に対する態度ではないですね。

いやあ、今日は、苦しい話を書きました。

互いに「尊重できる」のが幸せ

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昨日、Yahoo Japan のトップページに、
「親ガチャは言い訳か  若者の現実」という題を見つけたので読んでみましたが、
以下に、その一部を引用します。
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「親ガチャ」とはつまり、
どのような親のもとに生まれてくるかによって
人生が決まってしまうという意味で使用されている。

高い教育費は、
子どもを投資の対象としてみなす傾向を強める。
つまり、教育費を投資することによって
将来のリターンを期待する関係がつくられるのだ。

これを背景に起こってくるのが「教育虐待」と言われる問題だ。
「あなたの将来のためだから」という理由で、
人生の早い段階から受験競争へと巻き込まれていくことが典型だ。

良い成績をとらなければ親から人格を否定される。
親に認められるためにとにかく良い成績をとるように努力をしていく
・・・このプロセスのなかで
親の支配が強まっていくことになる。

親側の「自負心」から、
親の希望する学歴、職業から、結婚観まで
押し付けるといったことが生じる。
その結果が、次のような発言となって現れてしまう。
「これだけあなたに投資してきたのだから、
 親の言うことを聞くのは当たり前。」
「なんであなたは
 親がしてあげた分にこたえようとしないの?」
「あなたにつくしてきた私(親)は本当に不幸。
 私が不幸なのはすべてあなたのせい。」

テレビドラマに出てきそうな発言であるが、
このようなことを子供に投げかける親は実在する。
毒親」の身勝手によって精神疾患を患い、
相談に訪れる方は非常に多いのが現実だ。
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前回は3歳児が湯をかけられて死亡した話でしたが、
今度は、若い世代の受難の物語ですねェ!

私の感想ですが、そういう若者たちの悲劇って、
親から「尊重されてこなかった」
というころにあるんだろうと思ったことです。

それで、たとえばですね、
親は学費などで多額の金を使い、
必死の思いで私に関わり、育ててくれた。
だから私は、親に愛されてきた幸せ者だ
・・・っていうふうには、
ならないんですよねェ、この話。

なぜ?
・・・って言ったら、親がしたことってのは、
「子どもの幸せ」という偽装の看板を掛けつつ、
「親の都合を満たす」ことが隠れた目的であって、
親が子供に深く「立ち入って」くればくるほど、
子どもを苦しめることになるんですが、結局それは、
子どもの主体性を引きはがし、
子どもを「奴隷」化することであり、あるいは、
親の「操り人形にする」ことだと思うからです。

そういうのって、子どもであっても
「一人の人間」として親と同格であり、
親と同じ「尊厳を持つ」存在であるということを、
親が考えられない状況にあるからこそ、
発生する悲劇だというふうに私は思うことです。

あの、人というのは、年齢の差によらず、
親とか子とか、立場が上とか下とかにもよらず、
もちろん、男女の違い、体格、才能の違いその他、
いろいろな個人的差異なんかにもよらず、
誰もが「尊厳を持つ一人の人間」として、
尊ばれる存在なんですよねえ。

なお、今日の添付写真ですけど、
前回掲載した添付写真の右上部分の様子を、
クローズアップして撮り直したものです。

助けてもらえるありがたさ

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前回の続きを書く予定でしたが、
湯をかけられて死んだ3歳児のニュースを見ましたから、
そのことをちょっとだけ。

虐待されていたその子(桜利斗ちゃん)について、
桜利斗ちゃんの母親の知人は、言ったそうです。
「私たちが帰ろうとしたら桜利斗ちゃんも靴をはいて
 一緒に出てくるんです。
 すごく『行きたい行きたい』みたいな感じで。
 SOSだったのか、
 『助けて』という感じやったんやろな。
 あざが何個も見られたりとか。
 『たっくん(松原容疑者)、いや、
  たっくん、いや』って
 最後らへんは言い続けていたみたいなので。
 口癖でしたよ『たっくん、いや』
 『たっくん、いや』って」
(以上、フジテレビ系列ニュース)

桜利斗ちゃんは、
「助けを求めていた」んだって思いましたね、
 虐待されて嫌な「たっくん」との関係から、
 自分を救い出して欲しい・・・って。

さて、世の中には、ですね、
「助けを求められる」ような人が誰もいないという、
超苛烈な人生を生きるしかない人もいるんですけど、
桜利斗ちゃんの場合、
必死の思いで助けを求めた人が何人かいたようで、
その人が摂津市に虐待を通報してくれたようです。
(結果としては、通報したにもかかわらず、
 桜利斗ちゃんが虐待から助け出されることは、
 なかったんですけどね。)

自分ではどうすることもできない絶体絶命の場合など、
「助けられる」ってことほどありがたいことはないと、
私は思いまして、
だから「人を助ける」って、
必要だし、大切なことだし、
そうしなきゃいけないと思うんですけどね、
私自身は「関り合いになるとひどい目にあう」恐怖で、
助けることをしなかったことがありまして、
でも、自分が困ってひどい状態にある時は、
「助けてもらいたい」って、ほんとに思いますよね。

相手を尊重しつつ関係を深める

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人と人との幸福な関係は、
(1)相手を大切に思うことができる、
(2)親しくできる、
その2点を、同時に満たすことだと思います。

くどく言ってすみませんが、
その(1)と(2)が「両方満たされる」のが大切であって、
(2)だけを求めると不幸の原因になると思うんですが、
具体的には、次回に書きたいと思います。

なお、今日の添付写真ですが、
男はつらいよ」の映画に出てくるような、
レトロな風景を見たものですから、
思わず写真を撮ってしまいました。

敬愛できるなら最高

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楽しく、親密な人間関係が持てることは、
私の喜びです。

その場合、大切だと思うことは、
相手に対して「敬愛」の気持が持てることですね。

ところが、「敬愛」できずに、
相手を好きになっちゃったという「自分の都合」で、
相手の気持を無視して、
「自分のものにしたい」って行動するようなら、
そういう態度はダメだと思うんですけど、
詳しくはまた次回以降に。

なお、今日の添付写真は、
夕空に光っていた星と、
その時ちょうど現れた飛行機雲です。

仲良くできる幸せ

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毎日いっしょにいる人や近い関係の人々と、
良い関係で楽しく過ごせるってことは、
ものすごく幸せなことだと思う私です。

その点で言えば、
前回書いたエカチェリーナ2世ですが、
ロシアの皇太子(後のピョートル3世)と結婚して以来、
二人の関係はうまくいかなかったようですね。

そういうのって、私は、
とっても不幸だと思います。

そしてまた、
家庭内別居の状態にあるけれども、
法的には夫がいるとか妻がいるという立場なので、
他の男性や他の女性とは、
会話や交流も無しで生きる・・・なんてのは、
気の毒なことだと思います。

人はやっぱり、
好意が持てる人々と交流し、
仲良く、喜ばしく生きられることが一番だと、
私は思います。

さて、今日の添付写真ですが、
19日の夕刻に撮影したものです。
月がものすごく印象的に、
美しく見えたものですから・・・