人間関係の喜び

幸せの基盤は喜ばしい人間関係にあることを

与えられるという恩恵

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赤ちゃんは、普通、
ママのことが大好きなんですよね。
なぜかって言ったら、たぶん、
「必要なもの」を全部、
「与えてくれる人」だからじゃないのかなあ
と思いました。
 
そして、人は、
「必要なものが与えられる」っていうことが、
生きていく上で絶対に必要だと、
私は思います。

ロビンソン・クルーソーの物語では、
たった一人、孤島で生きてた時期もありますけど、
それでも、食料が「採取できた」という点で、
自然環境の恵みによって「与えらた」と思います。
 
それで次回は、
「与えられる」立場から、
「与える」立場への転換ということを、
書きたいと思います。

欲求を叶えたい

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前回、人に対する好意や愛情が
大切だって書いたんですけど、
実は実は、私自身が、
他の人々から好意や愛情を受けたいんですね。
 
自分が欲しいものですから、たぶん、
他の人もそうだろうと想像するわけで、
あの、おいしい飲み物や食べ物って、
私は「求めます」ね、やっぱり。
 
それで、昔から、
人に対するおもてなしの重要な一つに、
飲食の提供があるんだろうなあと思います。
 
次に、精神的な面ではですね、私は、
他の人々から「私という存在」を
「受け入れてもらいたい」し、
私のことを好きになってもらいたいです。
 
この続きはですね、次回に書くことにしまして、
今日のところは、「私には欲求がある」し、
私の欲求を「満たしてくれる人」を、
私は「求めてるんだ」って、
自分の心を分析して書いてみました。

お・も・て・な・し

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滝川クリステルのファンではありませんが、
彼女の言葉「お・も・て・な・し」を
表題にしました。
 
「もてなす」といえば、
天皇陛下の「即位の礼
内閣総理大臣夫妻主催晩餐会の料理について、
テレビ番組を見ましたけど、
「飲食」は、人をもてなすのに
重要な手段だと思います。
 
前回のブログでは、
自分の子を産んでくれた女性にも、
自分の子にも十分な栄養をとらせず、
死にそうなめにあわせる男の話、
ちょっと書きましたけど、
仏教では「供養」の一つに、
飲み物、食べ物を供えるってことがありますね。
 
ところで、
「帝国ホテル流 おもてなしの心 客室係50年」
という本を読んだことはないんですけど、
著者の小池幸子さんが、
「客室係の流儀として
 一番大切にしているものを教えて下さい」
と問われた時、その答えは、
「愛情」の言葉に尽きるっていうことだったと、
インターネットで見たことでした。
 
そうですねえ、私は、
人に対する好意や愛情って、
何よりも一番大切だなあって思いますし、
そういう気持ちがあってこそ、
人は幸せなんだと思いました。
 
それで、次は、私自身が、
「そういう気持ちで生きられるか」という、
それが課題ですね。

心温かくいられる

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3月9日に記事を書いて以来、
投稿できないでいたんですけど、それは、
4月に借りる予定だった施設関係が、
新型コロナウイルス感染拡大防止のため、
「お休み」になっちゃいまして、
打ち合わせもできず、予定もたたず、
その対応を考えることなどで、
ブログ書くどころではなかったのです。
 
それで、このブログで予告していた話題は
「お流れ」とし、餓死寸前なのに
「瞳だけは動いていた」赤ちゃんに関して、
その後、母親がどう扱われたかについて書きます。
 
その赤ちゃんの父親は、
赤ちゃんの母(結婚してないので妻ではありません)
に対して、こう言ったそうです。
「子どもに乳もやれないなら、
 ご飯を食べなくていい」と ・ ・ ・
 
そして、わずかしか
食事が与えられなかったそうです。
 
あの、乳首から膿が出る病気にかかっているのに、
医療機関を受診させてもらえなかったのですから、
母親は悲惨なばかりで、何も悪くありませんよね。
ですから、赤ちゃんに対して、
母乳に代わる栄養を与える手だてを行わず、
母親には食事も満足にさせない男、
その男こそ、私には、悪魔に見えます。
 
「よその人間」じゃなく、身内、
それも、自分の子を産んでくれた女性に対して、
そして、我が子に対して、
徹底的にひどいことをして、
命を危険にさらしても平気な人間というのが、
世間には、いるんだってことが分かりました。

まあ、新型コロナウイルスも、
人間を苦しめ、殺すことまでしますけどね、
その男だって、
新型コロナウイルスみたいだと思いました。
 
でも、そういうありさまもまた「世の中の現実」、
それで、私たちは、そういうこととは反対に、
他人を大切にして、
自分を大切にする生き方をすること、
それがものすごく大切だってことが、
身に染みてわかる話なんですけどね、
一番大切なことは、
「自分のことが大好きで、
心地よくいられる」ことだと思います。
 
あの、「自分が好き」だからこそ、
他の人のことも好きになれるんだと、
私は思いますし、
「自分が」心地よくいられるからこそ、
他人にも優しくできるし、
心温かく接することができると思うんですね。

発信しても無視される

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自分の思いを表現しても「無視される」
 ・ ・ ・ どころか、
自分の思いを「表現する」ことさえ
「厳禁される」っていう人間関係がある・・・
ってことを知りまして、ちょっと、
心理的に、ブログが書けないでいる私です。
 
表題を「発信しても無視される」ってしましたけど、
それって、絶対の孤独であって、
孤立無援でこの世にいさせられるってことじゃないの?
「ものすごいことだなあ」と思いました。

心理的に続きが書けないので、また次回に。

眼だけは動いてる ! ? ?

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昨日、テレビのニュースですが、
4歳の長女に十分な食事を与えず、
適切な医療も受けさせずに
低体温症で死亡させたとして、
父親と母親が逮捕されたと言ってました。
 
さて、前回のブログに、
飢餓状態で亡くなった栗原心愛さんのことを、
ちょっと書きましたけど、
食事も与えず、医療も受けさせない虐待って、
「一つのパターン」かと思いました。
 
・ ・ ・ と言いますのは、このブログで、
ここのところ何回にもわたって紹介してきた女性、
彼女は、出産が近い吹雪の夜に、
鍋底磨きを命じられ、戸外の井戸で作業させられ、
家に入ろうとしたら鍵をかけて閉め出された、
その女性なんですけど、
彼女、節分が近い1月末に出産したそうです。
 
それは、男の父親の家での出産で、
助産婦すら来なかったそうです。
あまりにもすごいと、私は思いました。
 
そして、彼女は、乳頭から膿が出ていたのですが、
病院に行かせてもらえず、治療が受けられず、
乳児は母乳が飲めないというのに、
母乳に代わる栄養を考えてくれる父親では
なかったそうです。
 
だいたい、その父親は、
子どもが生まれた後、その母になった人を、
妻として入籍したそうですが、
いっしょに住まわせていた女性が出産したのに、
入籍せずに「他人」としておくのは、
「世間体が悪い」ために、
そうざるをえなかったみたいですね。
 
まあとにかく、乳と膿がいっしょに出るのでは、
乳児は乳が飲めませんね。
医師による乳児検診があった日に、
その赤ちゃんを診た医師は、
ふしぎそうに首をかしげ、
そして、言ったそうです。
「眼だけは動いてる ・ ・ ・ 」と。
 
つまり、栄養失調で衰弱死が当然の状態なのに、
それでも「赤ちゃんの瞳が動いている」、
そのことに、医師が驚いていたと、
その女性は話してくれました。

相手に対する肯定&否定

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人と「関わる」ってことですけど、

「関わり方」に2種類あると思います。
 
(1)相手の人から、私という存在が、
 「肯定され」、歓迎される関係。
(2)相手の人から、私という存在が、
 「否定され」、攻撃される関係。
 
それで、(1)の人間関係に恵まれた場合、
人は、互いに極楽浄土をつくっていく傾向に、
行動が向いていくと、私は考えます。
 
その反対に、(2)の状況では、
人の心は荒み、苦しみ、やがて、
世の中が地獄化していく原因になると思います。
 
今日のニュースで、こんな記事を見ました。
「勇一郎被告の携帯電話から見つかった動画には、
 被告から虐待される心愛さんが
 「ママー助けて、お願いママ」と
 母親に何度も助けを求める様子が映っていた。
 だが、母親が救いの手を差し伸べることは
 ほとんどなかった。
 もっとも近くで虐待を見ていた母親にも
 助けてもらえず、
 しまいには父親に同調して虐待された
 心愛さんの絶望はどれほどだったか。」
 
栗原心愛さんは、この世の中で、
「誰にも」助けを求めることができず、
死に至る苦境にあってもなお、
自分の気持ちがわかってもらえる人に恵まれず、
究極の孤独、文字通りの「孤立無援」の状況で、
身体的には飢餓状態に陥ってる中で
死亡したみたいですね。
 
それで、子どもを「飢餓状態」にさせるって、
すごいことだと思いまして、
それ、親が子どもに対して、
「生きる糧を与えない」ってことじゃないですか、
そのこと、次回に書けたらなあと思います。