人間関係の喜び

幸せの基盤は喜ばしい人間関係にあることを

善意の無視は不幸な社会

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新型コロナウイルス感染拡大防止策に関して、
レジャー産業、観光産業などや催し物に対しては、
「自粛」要請があるようですけど、
「自粛」というところに問題があるかなあ?
 ・ ・ ・ と、私は思います。
 
あの「自粛」ですからね、
自粛によって経済的損失を出しても、それは、
「自粛した」側の責任であって、
「自粛を要請した側」は
責任を負わないってことなんですよね、
なにしろ、「自粛した」のは、
その「自粛した」人の判断だってことですから。
 
ですから、「自粛要請」した側は、
何の責任も負わないし、
自粛した人に損害が発生しても、
補償なんか、するはずもないですよね。
 
それで私は、
「ずるいやり方だなあ」と思いました。
 
私はかつて、
ある部署に人員不足が生じたので、
自分の部署の人を人員不足の部署に回し、
自分の部署も「痛みを分かちあいました」。

その後、人員不足は解消されたのですが、
かつて人員不足だった部署は、
私の部署から回してあげた人員を、
戻してくれません。

つまり、「既得権」として
「取ってしまった」のです。
 
まあ、そういうことがまかり通りますと、
「他の人々が困っている」場合でも、
助けてやったら「損害を被る」ことになり、
人の善意が報われなくなっちゃいますね。
 
そうしますと、
善意なんか持たないほうがいい社会になって、
世の中の幸福度が低下すると思います。
 
あの、ですから、
「要請」という形で、
「善意の人」に損害を押し付け、
「善意の人」の犠牲によって社会を成り立たせ、
でも、その犠牲に関しては、
「知らんぷり」で一顧だにしないという
「ずるい態度」だったら、
世の中は不幸になると思いました。
 
この3月、
私も関係してる行事が中止となり、
準備に使った出費その他、全部損害ですけど、
でも、こういう状況ですから、
全く文句なんか言いませんけどね、
ああ、そういう犠牲もあるからこそ、
世の中が無事に成り立ってるんだという認識、
そして、痛みを引き受けた人々に対して、
その心情を思いやる気持ちって、
必要ではないでしょうか。