人間関係の喜び

幸せの基盤は喜ばしい人間関係にあることを

他人を犠牲にする不幸

前回、「職務熱心」ってこと、
書きましたけど、私もねえ、以前は、
「職務熱心」人間だったと思います。

それで、「職務熱心」の理由ですが、
「私の場合」について書きますと、
上司や会社から認められたい一心で、
そのためには、顧客その他ですね、
「他の人」の利益にならないこと、
いいえ、相手を苦しめることなども、
「していた」ってこと、告白です。

あの、上司とか職場の中で、自分が、
良い評価を得るためには、顧客とかが、
不利益になるとか、ひどいめにあう
 ・ ・ ・ かどうかなんてことは、
「考えてられない」情況だったんです。
今はもう、職場から離れましたので、
こんなことが言えるようになりまして、
まあ、私の場合は、幸運でしたね。
(非人間的な職場からは、
収入を放棄しても、離れたほうが幸せ
 ・ ・ ・ という面はあるんですけど、
そうしたら、生きてけなくなる人も!)

それで、前回書いた義務感ですけど、
自分の職務はAであると言われたら、
Aを達成するために「必死になる」、
その「必死で行う」理由というのは、
「自分が認められたい」とか、
「自分が良い評価を得たい」からで、
例えば人を相手にする業務だったら、
「相手の人」の利益を考える余裕など、
「無い」と思いますね、なぜなら、
「相手の幸せ」を考えていたら、
できない業務ってのが、世の中には、
いっぱいあるからです。
(顧客とか、人々の幸せではなく、
 事業の利益を最大化させることを、
  目的にできるのが今の社会ですね。)

ああ、なんか、
そんなことを書いてましたら、
心が暗くなってしまいましたので、
続きは次回にしたいと思いますが、
「世の中が悪いから」、それで、
巻き込まれて自分も悪くなっちゃう
 ・ ・ ・ ってこと、
あるような気がします。

今の私は、「給料を得るために」、
相手の幸せではないとわかることを、
しなければならない立場でないので、
そのこと、すごくありがたいですし、
うれしく思います。

なお、次回はですね、「自分が」、
世間とか他の人から、
「良い評価を得たい」とか、
すばらしい人と「見られたい」ため、
相手のことをひどいめにあわせても、
意に介さないという、
悪魔的な人間のことを、
ちょっと書きたい ・ ・ ・ とは、
一応、思ってますけど、
悲惨な話題なので、実際、
書けるかどうかについては、
今日の段階では、
「わかりません」と言うしかないです。