人間関係の喜び

幸せの基盤は喜ばしい人間関係にあることを

相手を苦しめる義務感

母が知人から聞いたという話です。
その知人を、Aさんとしましょう。
Aさんはある時、
クリーニング店に行ったそうですが、
その店は、
いつもクリーニングを頼む店とは、
違う店だったそうです。

店に入ったとたん、
店員がAさんを一目見るなり、
「固まってしまった」そうです。

Aさんは、今は退職してますが、
以前、B女子高で、
先生をしていたんだそうです。

それでAさんは、その、
固まって表情がこわばった店員に、
昔、B女子高の生徒だったのか、
聞いたそうです。

そしたらそのとおりで、
その店員は、
「先生が怖かった」と ・ ・ ・

それでAさんは、
昔、「厳しく」指導したことを、
詫びたそうですけどね、
Aさんはとにかく、
すごく「熱心な先生」だったので、
「できない」生徒は居残りさせて、
「学習指導」したんだそうです。

いやあ、Aさんが生徒だったのは、
数十年前のことだと言いますから、
その店員にとっては、
数十年前のことであっても、
今でも、恐怖だったということで、
心に受けた傷のものすごさを、
考えちゃった私でした。

まあ、その先生は、
「義務感」でそうしていたわけで、
でも、私が思いますに、
別にねえ、学習面で劣っていても、
世の中に生きていく上では、
何も問題ないと思いますから、
「できないといけない」なんてこと、
ないと思いますね、教科なんて。

だから、私は、
何かの科目ができる、できないなど、
「関係なく」ですね、
先生と生徒は、「楽しく」というか、
欠点があっても相手を尊重して、
交流できるのがいいと思います。

あの、私は、Aさんという方を、
非難しているわけではありません。
AさんはAさんで、
「職務に熱心」だったんでしょうけど、
私としては、「職務熱心」以前に、
「融和的人間関係」を重視するのが、
もっと望ましいかなあと思いまして、
ああ、でも、私自身にも、
Aさんと同じように、
「職務熱心」だったこともあったので、
そのことを考えてみましたら、
自分なぜそうしたのか、
思い当たって反省することがあって、
次回、それを書ければと思います。