人間関係の喜び

幸せの基盤は喜ばしい人間関係にあることを

値引き品が買えない人(8)

このシリーズ第一回目の(1)で
引用した文章に、こんなのがあります。
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大手商社に勤務する40代の男性会社員Cさんも、
セール品や値引き品を好んで買うタイプ。
だが、そんなCさんの姿勢に、
「稼いでいるクセに……」と嫌味を言う人もいると明かす。
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私にはちょっと驚きですが、
値引き品を買うかどうかみたいな
「どうでもいいこと」を気にして、
しかも、他人が値引き品を買ったのを見て、
その人に「嫌味を言う」人がいるって、
いやあ、すごい心情だなあと思いました。

あの、「どうでもいいこと」をタネにして、
他人に「嫌がらせ」を行い、
自分とは無関係の他人に
「からんでいこう」という気持ちが
理解できませんけど、
それで思いましたのは、ヤンキーというか、
あるいは昔、チンピラという言葉も聞きましたが、
繁華街ではそういう人々を見ることもありまして、
「からまれないように」気をつけようなんてこと、
ありましたね。

今回、私が関心を持ったのは、
他人にわざわざ「からんだりして」、
「人間関係を悪くする」とか、
ケンカや対立関係にもっていこうとするような、
「争いごとを求める」心理ですね。

あの、人間関係に喜びが感じられることは、
すごく幸せなことなんですけど、
わざと「人間関係を壊そうとする」人がいるという、
その不思議を考えてみたくなりました。

続きはまた次回に。

値引き品が買えない人(7)

前回、
「私が店員でしたら、
 客が値引品きばかり買うかどうかなんて、
 全く興味がありませんし、
 『「どうでもいいこと』です」
・・・って書きまして、
そう書いた後で思ったんですが、
それって、一人一人の客のことを、
「一人の人間」としてではなく、
没個性の「物体」みたいにしか
見てない態度だと思ったんですね、
・・・最初は。

でも、すぐに、
その考えは誤りだと気づきました。

なぜなら、体調が悪そうな客がいたとしたら、
すぐに気づいて、
「どうしてあげたらいいか」を考えて、
対応するはずだからです。

つまり、客を見る場合、
「どんな商品を選んだか」というようなことには
興味が無いけれども、だからと言って、
お客様に無関心ということではないですね。

さて、「店員の視線」を気にする客って、
買い物内容を見た店員が、
自分がどんな人なのか、
「推し量ろうとしている」って、
感じるのかもしれませんね。

でも、客が何を買うかが気になったり、
何を買ったかということで、
客が「どんな人か」を推し量ろうとする店員がいたら、
そういう店員こそ、
何か、問題ある人だなあと思いますけど。

まあ、それはそれとして、
「店員に見られる」ことが気になる客について、
その気持ちを推測してみました。

そういう客って、
他の人は「私を見ていて」、
私の悪い面なんかを見つけたら、
私を非難してくるんじゃないか?
・・・みたいな心配があるんでしょうかね?

そして、値引き品を買うのを恥と思う客って、
世間の人々がですね、
「自分に良い評価を下してくれる」ことを、
必死で求めてるのかも?
・・・なんて想像したことでしたが、
ほんとにそうかどうかは分かりません。

それにしても、
「知らない他人がいつも自分を見ていて、
 自分を評価したり批判するだろう」
・・・っていう感覚を持つ人がいたとしたら、
生きていくことがずいぶんつらいだろうし、
大変なんじゃないかなあと思いました。

この続きはまた次回に。

値引き品が買えない人(6)

このシリーズ第一回目の(1)に、
こんな文章を引用しました。
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店員の視線については、「見られると買いづらい」
「値引きばかり買っていると思われる」など。
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ああ、そうなんですか!・・・と、
私は思います。

その人にとっては「店員の視線」って、
それほどに重要なことなんですか!
「自分は何が買いたいか」という、
「自分の気持ち」よりも・・・

不思議、不思議、
「自分の気持」を犠牲にしてまでも、
「店員からどう見られるか」という、
店員の気持を重視するんですよね?

でも、もっと不思議なのは、
「値引きばかり買っていると思われる」
という認識のことでして、店員が、
そういうふうに自分のことを思っていると、
どうして断言できるのかってことなんです。

あの、私が店員でしたら、
客が値引品きばかり買うかどうかなんて、
全く興味がありませんし、
「どうでもいいこと」ですからね、
店員が自分を悪く評価するだろうと、
不必要な推測をして心配するという、
客の心情が理解できません・・・けど、
実際にそういう人がいるみたいですから、
もう少し考えてみることにします。

では、次回にこの続きを。

値引き品が買えない人(5)

相手の人を尊重し、
大切にすることって、
すごく大切なことだと思います。

そして、「相手を大切にする」って、
「自分を大切にする」ことと
同じなんですよね。

それで、幸福な関係というのは、
相手を大切にすることと
自分を大切にすることが
「同時に成り立つ」ことなんですよね。

でも、世の中には、相手の都合を優先して、
自分は犠牲になるとか、
相手を犠牲にして
自分が利益を得るという関係だって
あると思いますが、
そういうのは、不幸な関係だと思います。

さて、前回の続きですけど、
「値引きだらけの商品を買っていると知られたら、
恥ずかしいだろ」と彼が言うのは、
「彼の価値観」を、
彼女に押し付けている態度ですよね。

そして、彼女に対して、
「一緒にいる俺」と、
同じ価値観になれと要求してますから、
彼女の内面を尊重してませんし、
彼女の心を彼に同化させようと、
彼女に犠牲を強いていると思います。

ですから彼には、他の人を、
「その人」として大切にする気持ちが無い
・・・というより、
相手を蹂躙していると思います。

それで私は、その二人の関係は、
不幸な人間関係だと思うことです。

この続きはまた次回に・・・

値引き品が買えない人(4)

第一回目の(1)で引用した彼の言葉ですが、
「値引きだらけの商品を買っていると知られたら、
恥ずかしいだろ」と言ったそうです。

それで私は思いましたが、彼って、
「人の目を気にする」タイプなんでしょうね。

そんなふうでしたら、
「自分はどうしたいのか」ということより、
「他人からどう思われるか」を優先して
行動することになるのではないでしょうか。
そういうのって、何と主体性の無い、
不幸な人生だろうと思いました。

それで前回は、
自分自身が「無い」人間と書いたわけですけど、
そういう彼が、
「一緒にいる俺の身にもなってくれよ」と、
彼女に要求したというのですから、
つまり、
「自分自身が確立してなくて、
主体性が持てない」自分と同化してくれと、
彼女に頼んでいる図式だろうと思いました。

それって、彼の立場から見ると、
彼女を自分の「救い主」にしたい
ということでしょうけど、じゃあ、
彼女の立場から見たらどうでしょうか。

私には、彼が、
寄生虫のように見えます。
つまり、
彼女に寄生して生きようと図るわけで、
彼女は、彼から寄生先として選ばれたように、
私からは見えるんですね。

このブログは人間関係の喜びですけど、
今日書いた話は、まさに、
不幸な人間関係の一例と思いますが、
喜ばしい人間関係を結ぶためには、
必須の条件があると考えます。

その必須条件とは、
自分を「好いもの」として認めることができ、
相手もまた「好いもの」と感じることができ、
たがいに仲良くできることであって、
そういう関係ができれば、この世界は、
喜ばしく幸福な世界になると思います。

この続きは、また次回に書きます。

値引き品が買えない人(3)

自分自身が「無い」人間が、
「虚像の」自分自身を捏造しようとして、
必死にあがく行動の一つとして、
他人を支配し、
コントロールしようとする様式が生まれるのではないか?
・・・と、
「値引き品が買えない人」シリーズを2回書いてきて、
私は思いましたので、
その詳しい内容は、
次回以降に書きたいと思います。

値引き品が買えない人(2)

前回引用した文章の中で、
私が一番問題個所だと思うのは、
「『何品もかごに入れて恥ずかしい。
一緒にいる俺の身にもなってくれよ』
と言われました。」という部分です。

あの、
商品を買い物カゴに入れたのは、
彼女であって、
いっしょにいた彼ではありません。

また、その商品を選んだのは彼女であって、
彼ではありません。

つまり、
彼女がそういう商品をカゴに入れたのは、
「彼女の考えで彼女がした」ことであって、
彼とは「関係が無い」ことなんですよね。

そのように、彼女とは無関係の彼が、
彼女の自主的行為に対して、
「恥ずかしい」と感じるという、
そういう感覚が理解できません。

たとえば、自分(✕)とは異なる人間(Y)が、
その人(Y)の価値観に基づいて行う行為を、
その人とは異なる私(✕)が
「恥ずかしい」と感じること、
さらにまた、他の人間(Y)の行為に対して、
「俺の身にもなってくれよ」と
「要求する」・・・ようなことは、
それ、「他人(Y)」が
「自分(✕)の思いどおり」でないと
許せないって心情じゃないですか!

どうしてそこまで他人を支配しようとし、
束縛し、
コントロールしないと気が済まないの?

そいうのって理解できない心情でして、
私だったら、そういう人(✕)には
「近寄りたくない」し、
さきほどは、試しに、
自分がそういう人(✕)だったとしたら
・・・という仮定で考えてみたんですけど、
自分がそういう人だったとしたら、
自分自身が気持ち悪いです。

このブログは「人間関係の喜び」ですけど、
今日話題にした彼には、
彼女と人間関係を結ぶ喜びが、
感じられないんじゃないかと思ったことです。

この続きはまた次回にします。